6歳のときに言われた「すかしてんじゃねえよ」と言われた経験をなんとなく思い出してAI日記を実践したら、「軽やかさ」という生き方を意識してみようという話に発展した記事です。
6歳のときに初対面で言われた「すかしてんじゃねえよ」
6歳のころ。友達について行った先で、初めて会った子がいた。こちらは普通にしていただけなのに、開口一番「すかしてんじゃねえよ」と言われた。
意味が分からず「どういう意味?」と聞くと、「それがすかしてる」と返ってきた。余計に意味が分からず、その場の空気だけが印象に残っている。
その日は、友達の友達として、すでにできあがっている遊びグループに混ざった形だった。相手からすれば、いきなり知らない人がやってきたような感覚だったのだろう。でも理由もわからず投げられた言葉に、ただ驚いた。
これが僕にとって人生初の「人間関係の面倒くささ」との出会いだった。まあ、6歳にしては重い体験だったな。
「すかしてる」の意味と、今も続く集団の空気
あとになって知った。「すかしてる」というのは、気取っている、クールぶっているという意味だった。1990年代当時は今よりずっと耳にすることが多く、現代でいうと「イキってる」に近い。
大人になっても、新しい集団に入ったときの独特の空気は変わらない。人は相手を「こんな人かな」と分類して、安心しようとする。面白いことに、人間関係の経験が豊富な人ほど分類は当たるんだが、同時に「分類なんてあてにならない」ことも知ってたりする。逆に、経験が浅い人ほど不安から分類したがるのに、その精度は低いという…なんとも皮肉な話だ。
経験豊富な人との会話が楽しいのは、この懐の深さにあるのかもしれない。相手を受け入れる余裕があるから、こちらも安心して話せて、結果として面白い会話になる。
人間関係の「美味しいとこ取り」を目指して
正直に言うと、僕は人間関係に対して矛盾した気持ちを抱えている。煩わしいと思う一方で、やっぱり楽しいとも思う。話すこと自体は好きなのに、なんか得意じゃないな〜とも感じている。
要するに、人間関係の「美味しいとこ取り」がしたいんだよね。会話の楽しさは得たいけど、煩わしい人間関係はちょっと嫌だという、まあ贅沢な話なんだけど。
理想としては、初対面でも「適当な雑談相手として成立する」関係性があって、仲のいい相手とは「日常的に普通の会話をする」という使い分けができればいいなと思っている。
AIとの雑談練習から見えてきたこと
そんな時に試してみたのが、AIとの雑談練習だった。なんか変な話だけど、意外と効果的だったんだ。
AIって、どんな話題でも興味を示してくれるし、必ず何かしら返してくれる。話を広げるのがとても上手で、聞き手として最高レベルだと思う。
でも、ふと思った。じゃあ逆に、自分がAI的な聞き手になってみたらどうだろう?って。
相手の話に興味を示して、「へー、そうなんですね」って肯定的に反応して、「それってどういうことですか?」って深掘りして…これって確かに、話し手にとっては嬉しいはずだ。
ただし、AIみたいに何でも同意しちゃうとイエスマンになってしまうので要注意。「なるほど、そういう見方もありますね」みたいに、理解は示すけど同意ではない、という絶妙なバランスを取りたいところ。特に職場だと、うっかり同意すると派閥に入れられたりするので、線引きはしっかりしておきたい。
段階的なアプローチを考える
AIとの練習で気づいたことを活かして、実際の人間関係では段階的なアプローチを取るようになった。
初対面・1回目:どうしたら楽しく話せるかに集中
- 天気の話から自分がちょっと困ってることを話すみたいな流れ
- 相手が解決できそうな小さな困りごとを話す
- 目的は「この人と話すの楽しいな」と思ってもらうこと
具体的にはこんな感じ
「今日暑いですよね」→「アイスでも食べたくなりますね。何かおすすめありますか?」
この質問なら、どんな答えが返ってきても会話を続けられます。知ってるアイスなら共感、知らないアイスなら感謝、苦手なら別の話題へ自然に展開できるからです。
2回目・3回目以降:普通の会話ができる関係に
- ある程度安心感ができている
- 趣味、仕事、考え方などの話ができる
- 自然体で話せる関係を築く
初回の会話なんてあまり覚えていないと思うので、とにかくその場を楽しむことに集中。知ってるアイスだったら「あ、それ美味しいですよね」って共感できるし、知らなかったら「今度試してみます」って感謝できる。どちらに転んでも会話が続く。
「軽やかさ」というコンセプトの発見
こうやって人間関係について考えていると、一つのキーワードがふと浮かんできた。「軽やか」という言葉だ。
価値観の違いでぶつからず、政治的な話題に巻き込まれず、お互いにプレッシャーもない。純粋に「会話」という行為を楽しめて、後に引きずらない関係性。
これって、6歳の時の「すかしてる」体験とは正反対だよね。あの時は決めつけられて、すごく重くて理不尽だった。でも「軽やかな関係」なら、そんなことは起こらない。
軽やかさと誠実さの両立を目指す
ただ、軽やかさが万能かというと、そうでもない。相手が本気で悩んでいる時や、重要な決定の場面で軽やかでいると、「この人は真剣に向き合ってくれない」って思われてしまう。
だから大切なのは、「軽やかさ」と「誠実さ」の両立だと思う。
使い分けとしては、日常の何気ない雑談では軽やかに楽しく、でも相手が真剣な相談を持ちかけてきた時にはちゃんと誠実に向き合う。初対面では軽やかさで警戒心を解いてもらって、関係が深くなったら誠実さで信頼を築いていく、みたいな感じかな。
そして、これを実現するには、自分の得意分野に絞って生きる方が良さそうだなと思った。得意分野だと自然体でいられるし、無理に背伸びしなくて済む。結果的に、言葉にも説得力が出るし、アウトプットの質も良くなる。
苦手な分野で無理をすると、どうしてもストレスがたまって、軽やかさを保つのが難しくなってしまう。でも得意分野なら、自然に軽やかかつ誠実に関われるんじゃないだろうか。
実際の人間関係では相手を選ぶ目も必要
AIとの練習は話を広げやすいけれど、実際の人間はそうはいかない。機嫌や興味で反応が変わるし、中には雑談に否定的だったり攻撃的だったりする人もいる。そういう人とは無理に関係を築こうとしなくてもいいと思う。
距離を置いた方がいい相手:
- 何を話しても否定的な反応をする人
- 常にイライラしていたり攻撃的な人
- 初対面から「すかしてる」みたいなことを言ってくる人
無理に全ての人と仲良くしようとする必要はない。むしろそういう人と無理に雑談しようとすると、自分が疲れるだけじゃなくて、雑談スキル自体にも悪影響がありそうだ。
まとめ:分析しちゃう人だからこそ考えてしまう
まあ、こんなふうに人間関係について細かく分析している時点で、僕は本当に軽やかな人間ではないんだろうね。本当に軽やかな人は、こんなに理屈っぽく考えたりしない。 でも、得意じゃないからこそ深く考える価値があるのかもしれない。天然で軽やかな人には説明できないことも、分析好きな人なら体系的に理解して、意識的に改善していくことができる。 なんか「すかしてる」って言われた6歳の体験から、こんな人生哲学にまで発展するとは思わなかったけど…人間関係って、やっぱり面白いよね。
今後の指針:
- 初対面では軽やかに、深い関係では誠実に
- 得意分野に集中して、無理せず自然体で関わる
- AIとの練習で基本を身につけつつ、実際の人間関係では相手を選ぶ目も養う
- 煩わしさを最小限にして、会話の楽しさを最大化する
遠回りかもしれないけれど、最終的にはより深い軽やかさに到達できるんじゃないかな、と期待している。
※この記事も、実際の体験からAIとの対話ログを基に執筆しています
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